自由

僕らは当たり前のように「自由」を掴んできました。

 

職業も、住む場所も、食べるものも、休日の過ごし方も、

ほとんど無自覚的に「自由」にしてきました。

 

「完全な自由」ではなくても、ある程度選んでこれたと

思います。

 

「選べる」ということは、言い換えると

「余っている」ということです。

 

日本にはそれだけの余裕があった。

 

これは凄いことで、もしも「余裕」が無くなったら、

さっき僕が言ったような、

 

「和佐大輔にしか出来ない仕事がしたい」

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なんてことは口が裂けても言えなくなってしまいます。

 

それは、「そんな贅沢は言ってられない」ではなくて、

「そもそも和佐大輔にしか出来ない仕事をしてなければ

飯が食えない」という意味で、です。

 

なぜなら「和佐大輔以外が出来る仕事」は、

激しい競争で奪われ、残ってないからです。

 

100人いたら、99枠の仕事があって、

1人はあぶれてしまう、というような、

究極的な「競争」が「当たり前」になるかもしれない。

 

まあ、現実にそこまで競争が激化するかはわかりませんが、

人間は「機械」ではないので、仮に150枠の仕事が

あったとしてもかなり激しい奪い合いになるでしょう。

 

200枠でも、300枠でも、です。

 

だって「仕事」って、良い仕事ばかりじゃなくて、

「汚い仕事」「辛い仕事」もあるわけですから。

 

「より良い仕事があるなら命がけでそれを奪う」

というぐらい、余裕が無い世界は殺伐としています。

 

何十年後かの未来人から見れば、今の僕らはとても

平和ボケしていて、現実を生きていないように見える

かもしれません。

 

ビジネスチャンスがあるなら、寝る間も惜しんで、

今、この瞬間から誰よりも早く取り組むことが、

「当たり前」で、悩んでいる意味がわからない、と。

 

もしそんな「ハングリーな精神」を持っていて、

さらに「優秀」な人間が、僕がやっていることを

同じように始めたら、僕の存在意義は地に落ちて

しまいます。

 

「和佐大輔の価値」を証明出来なくなるということは、

「和佐大輔は死んでもいい」ということです。

 

僕はビジネスの現場にいるので、この感覚は当たり前で、

だからこそ、

 

誰でも出来ること(時間さえあれば)は止めて、

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和佐大輔にしか出来ないことをやろう、

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と、決めたわけです。

 

こと、マーケティングの世界において、最新情報を

追いかけること、実験することは誰でも出来ること

だったりします。

 

だから、最初の取り組みとしてはオススメしている

わけですが、例えばある人は「Youtubeで動画の

再生回数を増やす10の方法」を試行錯誤の結果、

見つけたとします。